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哀悼 Steve Jobs


 スティーブ・ジョブズが死んでしまった。

 20余年前、Macintoshに出会わなければ、今こんなブログを書いていることもないだろうし、マルチメディアジャーナリズムがどうのこうのと言っていることもなかったんじゃないかと思うと、彼の死んだ昨日は特別な日で、何だかフワフワしながら一日が過ぎて行った。

 一企業の経営者の死が、これほどインパクトで語られることはそうあることではないだろう。

 世界の新聞の多くがスペースを割いて伝えた。

 すばらしい新聞デザインについては、以前「この美しき新聞を見よ!」でも書いたが、今日の一面のできもすばらしくて、彼へのTributeとして取っておきたくなる。

新聞、出版のデザイナーにとって、やはりMacは特別な存在だから、彼の死亡記事に力が入るのは容易に想像できる。

特にこのブラジルのサルバドルにある「Correio」紙のデザインは秀逸だ

 SND(Society for News Design)が、彼への追悼記事「Steve Jobs changed the way we work」を掲載しているが、その中で、2年程前に作られた、新聞デザイナー、エディターたちのMacとの関わりについてのビデオを紹介している。まさにMacによって一般的になったDTPのインパクトが熱く語られている。

 私にとってMacとの出会いは、伝説的なMacintoshのCMにあるように、これでBig Brotherから解放されるのではないか、という希望を与えてくれた。

 フォトグラファーとして、それまでもんもんとしていたところに、一筋の光が差したように思えた。

 かつて私がいた職場では、フォトグラファーは撮るだけ、あとはそれを編集者に渡して、写真がどう使われるのかは印刷されるまでわからない、という状態だった。

 なんでこういうトリミングをするかなあ?といった、明らかに「変な」編集についても、新米のフォトグラファーがいちいち口をはさめる雰囲気ではなかった。

 そんなもやもやを抱えながら、何か違う世界があるに違いないと留学したアメリカのジャーナリズムスクールで、学生たちがAldus PageMaker(当時はAdobeではなかった)を使って写真ページのレイアウトをしているのを見て、頭をレンガで殴られたような衝撃(←これもJobsの言葉だけど)を受けた。

 「これだ!これで俺達も自由になれる!自分の写真は自分がいいように見せるのだ!」と感じたあの時代。その希望は、また別の力学により挫折することになるのだが、少なくともそのときに感じたことは、今も脈々と自分の根底に流れている。

 当時、New York Universityの教授だったFred Ritchin氏は著書’In Our Own Image’(1990)の中で、デジタル時代にフォトグラファーがどうなっていくのかを考察した。コピー、修正が格段に簡単になったデジタルの世界で、ややもするとフォトグラファーは、「原材料の供給者」に成り下がっていくだろう、と警鐘を鳴らしてくれた。第三世界の国々が、自国の貴重な原材料を搾取され続けているように。撮るだけではない、そこに付加価値をどうやってつけるかを自分たちで模索していかないとみじめなことになる、ということだろう。

 当時のフォトグラファーたち、ほとんどがMacユーザーだった。というか、画像処理、DTPができるパソコンはMacしか無かったのだ。

 あれから20年。コンピュータテクノロジーによってフォトグラファーは自由になったのか?

私は自信を持って「Yes!」と言いいたい。自分が生きている時代にこのテクノロジーに巡りあえてよかった。Thank you Mr. Jobs! R.I.P.


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