ボケ考
最近はボケのある写真が流行である。
ボケといっても森山大道の「ブレ、ボケ」ではなくて、一点にピントが合ってあとはボケるという、被写界深度の思いっきり浅い写真のオンパレードと言っていい。アマチュアの間にもこの傾向は顕著で、いかにボケ味のいい写真を撮るかに労力が使われているようだ。人間はボケると疎まれるけど、写真のボケは大人気である。
そもそもいつからこんなにボケ始めたのだろう?
個人的な感想だが、10年くらい前から、このトレンドは始まっているように思う。
最初にボケ写真を見たのは、日本の雑誌の料理ページか何かだった。
初めて見たときはちょっと驚いて、「ピントが合ってないじゃないか!」と思ったのだ。
全然合ってない訳じゃないので、正確にいうと、「ピントが合ってないところがあるじゃないか!」なのだが、もっと専門的に言うと、「被写界深度が浅すぎるんじゃねえの!?もっと絞った方がいいんじゃない?」ということになる。
それまでは、料理や物撮りの写真は、写っている範囲にはそれなりにピントが合っているのが普通だったので、メインとなる料理の、それもその一点にしかはっきり合っていない写真にはびっくりした記憶がある。
例えばケーキの上に乗った苺の粒々2列くらいにピントが合ってるけど、あとはケーキ本体も含めてボケてます、という感じ。
それ以来、すっかりこの手の写真の被写界深度の浅薄化減少は進む一方で、最近では、きっちり全体にピントが来ている写真を探す方が難しい。
まあ、昔からどのくらいきれいなボケを作るかがレンズの評価にもつながっていて、だからみんなライカとか欲しがったりするのだから、ボケが正当に評価されてきたのはよいことなのだろう。
だから最近、開放F値の小さなレンズ、f1.4とかf2.8とかが人気が高い。
時代とともに変わるもんだ。
かつては、風景写真家アンセル・アダムズの属していた写真家集団の名前は「f/64」。6.4じゃなくて64ですよ。
これは大判カメラにおける最小絞り値なのだが、とにかく被写界深度は極度に深くて、隅から隅まででピントがきっちり合うような写真が撮れるわけだ。
写真によって、世界の隅々まできっちりと表現しようという意図なのかどうか、諸説あるのだが、参加していたアンセル・アダムズやピーマンで有名なエドワード・ウェストンの写真を見れば、確かにそのような写真なのだ。グループf64について詳しくはwikiの英語版で読んでください。
被写界深度の浅さがもたらす効果を、実際には有りえない場面に適用すると、本城直季氏のMinituarizationとなるが、これもあっと驚くイメージだったが、今はいろいろな人がこの手法を使ったり、最近ではデジタルカメラでこれができちゃう始末である。
絞り開放とか、被写界深度とか、一昔前まではフツーの人は全く縁がなかった言葉だけど、最近のデジカメの普及で、若い人たちや女性の間でもこういうことに対する関心が深まっているようで、嬉しいなあ。
もっともっと写真に対する関心が深まるといいです。