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定山渓の歴史に触れる 木造旅館、芸者、舟遊び、、、こんな温泉地があった

昭和32年頃の湯の町全景」~定山渓郷土博物館蔵
左側の木造旅館の連なりは、定山渓ホテル。右側の橋は月見橋。橋の上方にある建物群が、鹿の湯。右端の建物は料理屋「みよしの」。

(※初出:この記事は札幌市の観光サイト「ようこそさっぽろ」に2004年1月27日に掲載されたものです)

「プール」と呼ばれた温泉を利用した水遊び場。かつて3カ所あり、冬でも泳げた。50メートルくらいの長さがあった。写真は元湯ホテル(現・定山渓ホテル)のプール。撮影は昭和初期。
(写真は、札幌市写真ライブラリーから)

 定山渓温泉の歴史にも触れておくべきかと、「定山渓郷土博物館」を訪れた。
 博物館とは名ばかりの、定山渓小学校のグランドの一角にある物置のような建物だ。小学校の先生から鍵をもらって中に入った。
 奥の部屋の電気をつけると、定山渓鉄道のなごりの品々や、火鉢などの生活用品、旅館のはっぴなどが展示されていた。
 その中で、ふと目に入った一枚の写真に思わず息を呑んだ。
 木造3階建ての錚々たる日本建築。想像もしなかった定山渓の景観だった。

 「昭和32年頃の湯の町全景」とある。
 

 かつての定山渓の姿を知りたくて、定山渓に生まれ、長く水道工事、配管業を営む森田貞雄さんに話を聞きに行った。
 大正13年生まれ。16歳のとき、満蒙開拓義勇団に参加。当時の満州に渡る。ソ連国境で終戦。約2年間の抑留生活を経て、昭和22年、定山渓に戻ってきた。定山渓で生まれ育ち、変わる定山渓を見続けてきた。今も会社の代表取締役として現役で働き、現場にも出る。

 昭和44(1969)年まで、札幌から定山渓まで、「定山渓鉄道」が通っていた。
 現在の定山渓スポーツ公園のあたり、ホテルミリオーネの西側に駅があった。団体客が大挙して到着した。ホームが短く、列車の編成が長いと、二回に分けて降ろしたほどだ。旅館の印半纏を来た客引きが十名以上出迎えた。

 料理屋も多かった。100人以上の大規模宴会がよく開かれていた。
 芸者さんもいて、今の「ぬくもりの宿ふる川」のあたりに芸者さんの検番所があり、踊りの稽古をやっていた。
 豊平川の上流方向、玉川橋のあたりは、屋形船も出る舟遊びの場所だった。森田さんも、13歳くらいのころ、小遣いかせぎで船をこいだ。 

 この写真が撮られたころから、コンクリート作りの旅館が、定山渓にも建ち始める。画面の中にもその建物が見える。全国でも類がないほど先進的だった。

 旅館のいくつかは温泉を利用した「プール」と呼ばれる施設を持ち、冬でも泳げた。だから、定山渓の子供は水泳が得意。水泳競技で活躍することが多かった。

 豊平川沿いにある泉源に降りる。
 取水口はコンクリートで覆われているが、水辺では川底からあふれ出る温泉の熱気を感じることができる。川岸のポンプ室では、お湯を各ホテルに送るため、機械が轟音を立てている。

 ホテルが立ち並ぶ中心部から離れ、豊平川沿いの歩道を上流に向かって歩くと二見吊橋という吊橋がある。橋から上流を見ると、見事な渓谷を見渡せる。そこには静かな定山渓が広がる。

 「変わらないのは山の形だけだなあ」と、森田さんがつぶやく。
 もうひとつ、変わらないものがある。
 こんこんとわき続けるお湯。定山渓、自然の恵みである。

(2004年1月27日・ 吉村卓也)

定山渓鉄道の通った、札幌の奥座敷