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キタラ 第二話 その意匠は、北海道の建築へのオマージュだった

Kitara | A Tribute to the lost Hokkaido Architecture

(※以下の記事は2004年7月に札幌市の観光サイト「ようこそ札幌」に掲載されたものです)

客席の手すりのカーブは、和船の建造技術からの手法を用いた

Kitaraの建築 〜随所に札幌の歴史が隠れる

 

 札幌コンサートホールKitaraの建物を見ることも、音楽を聴くこと同様に楽しい。建物の随所に、札幌の建築の歴史の中から「引用」した意匠が見られるのだ。
 Kitaraの建物全体を構想、設計した札幌在住の建築家、宮部光幸さんは「Kitaraは建築のコラージュなのです」という。

 引用の元となるのは、1920〜30年代の札幌の建築。日本の近代化の歴史の中で、さまざまな試みが実験的に行われた街が札幌だった。過去の伝統にとらわれず、積極的に異文化を受け入れた風土がそこにあった。

 当時、札幌の中心市街地の中に、多様な建築要素がひしめきあっていた。それが「札幌らしさ」であり、Kitaraを単一の建築様式で表現するには、物足りないものを感じていた、と宮部さんは言う。
 また、洋館が続々札幌に建てられたこの時期は、まさに札幌に西洋音楽が紹介された時期とも重なるのである。札幌の建築史に名を残す建築家で、バイオリニストの田上義也が札幌にやってきたのもこの時代。田上のバイオリンに感化され、札幌市民交響楽団(札幌交響楽団の前身)の初代常任指揮者となる荒谷正雄が音楽の勉強のため渡欧したのもこの時期である。音楽と建築は、不思議に関わり合っていた。

 残念ながら、中心部に集積していた見事な建築物の多くは、取り壊され、その姿を消してしまった。

小ホールのランプは北大農学部玄関のもの。壁は養蚕学科の外壁のモチーフを模した

大ホール入口のアーチは、かつて中島公園にあった、開道50年の博覧会で作られた「奏楽堂」のイメージ

Kitaraレストラン内のかまちは、小平町でニシン漁船の桟橋として使われていたマツ材をそのまま転用した

大ホール、ホワイエの柱は、北大理学部などで使われていた「ネオクラシズム」様式

 「忘れ形見として、Kitaraにそのイコンを埋め込みたかった。札幌の原型を形作った街の雰囲気を出したかった」と、宮部さんは言う。

 例えば、大理石の縁取りがある細長い窓は、旧・丸井今井百貨店本店の窓からの引用だ。1階ホワイエの太い柱は、当時流行していた「ネオクラシズム」を模している。1階バルコニーは、すぐ近くにある豊平館のバルコニーの形をなぞっている、といった具合である。

 それは、効率、ローコストを追い求めた近代建築へのアンチテーゼでもあり、いわば「無駄」を大切にする人間の心情にもつながる。音楽を聴くという、経済効率とは関係のない空間が、そんな遊び心の建築で作られているというのは、なんとも心地よいではないか。

 外側の造作だけではない。設計にあたり、宮部さんは世界で評価されている音楽ホール22ヶ所を見てまわった。そこから得た経験は、世界でも珍しいとされる天井からつるされた音響反射板や、百年の使用にも耐えられるコンクリート製の天井に結実されたのである。

(文・写真:吉村卓也 初出:「ようこそさっぽろ」2004年7月 )